
歯の情報 デンティスト・アイ
4.お釈迦さまの「歯磨きのススメ」
●お釈迦さまの「歯磨きのススメ」
何千年も昔から、文明の発祥とともに人間は虫歯に悩まされ、歯抜けになっていたようです。どんなに身分が高くても、いかに痛みや口臭に悩まされていたか想像できます。
口の清掃が人間の健康にとって、また集団生活のために必要なことだと説いたのはお釈迦さまだと言われています。
「朝早く起き歯を磨け、歯を磨くには虫食いのない新しい木を用いる。その長さは指の幅12本分ほどで、小指の太さぐらいの節のない灌木を用いる」
というように、同時代に書いた医書もあるのですが、これはお釈迦さまの経典にあるものと同じだそうです。
歯の清掃に用いる木はニームという灌木で、インドではつい最近まで、多くの家の生け垣として植えられており、朝起きて枝を折り、その端を噛んでつぶし房状にして歯を清掃していたようです。
●歯の清掃は戒律に定めがあった
当時の仏教徒にとって、歯の清掃は1日2回朝夕行い、釈迦の教えとして守らなければならない戒律のひとつとされていました。
一つには、口中の臭気を除くこと
二つには、食物の風味がよくなり、食欲がでること
三つには、口中の熱を除くこと
四つには、たんを除くこと
五つには、目がよくなること
というものです。これはまさに「口は健康の入り口である」という現代の歯科衛生の思想とまったく同じです。二千年の昔から人間は歯磨き、その目的まで知りながら、文明がどんなに進歩しても、人間自体はあまり進歩していないということでしょうか。
●仏教経典とともに中国から歯磨き
中国を経て日本に仏教が伝えられた六世紀に歯の磨き方は、仏教経典とともに輸入されて、九世紀になって仏教が民間に広まるに従って、広まったといわれています。同時に中国から医療制度も移入されて、その中には歯科も含まれていました。
インドで歯磨きに用いられていたニームという灌木は中国にはなく、中国では柳(楊)の枝を使ったようです(中国の柳は「かわやなぎ」で、日本で柳といわれている枝が下にたれているものとは違います)。そこから「ようじ」に「楊枝」という字があてるようになったそうですが、楊枝をつかって歯を磨いていたのです。
●歯磨き用の塩が忠臣蔵を生んだ?
江戸時代になると、口の衛生に欠かせない楊枝や歯磨き剤は商品として売られ、楊枝屋がそこかしこにあって繁盛していました。特に江戸の町人は歯磨きに粋を感じていたことが川柳やさまざまな文学に登場し、歯磨きが庶民のすみずみまで広まっていた様子がうかがわれます。
有名な赤穂浪士の話は、塩をめぐる浅野家と吉良家の確執が元になっておきた事件です。それというのも、赤穂の塩は当時歯磨き用の焼塩として、日本中で売れていたヒット商品だったからです。当時、「おはようの歯磨き売り」という、毎朝歯磨き剤を売り歩く商売があったそうです。
塩を歯磨き剤に使うことは現在にも伝わり、とくに最近は流行のようになっています。塩には口の中の細菌の増殖を押さえる働きや歯茎の炎症を鎮める働きがあるのですが、当時から今と変わらない認識があったようです。